20170702 パウロとバルナバの決別 使徒15:36-41

仲違いと決別・・・第二回伝道旅行は、第一回伝道旅行で信仰に導かれた人々の問安(安否を尋ねる)という目的をもって始められましたが、バルナバはこの旅に、第1回伝道旅行でパウロはバルナバの助手として同行した「ヨハネ・マルコ」を再び連れてゆきたいと考えました。ところが、パウロはマルコの同行に反対します。反対の理由は、マルコが第1回伝道旅行の際に、途中でエルサレムに帰ってしまったというものでした。その結果、パウロとバルナバは宣教における協力関係を解消することになりました(15:37-39)。彼らはお互いに大切なパートナーとして相手を必要としていたと思われますが、パウロはバルナバをあきらめてでもマルコの同行を拒み、バルナバはパウロをあきらめてまでも、マルコを連れてゆくことを選びました。

どちらの判断が正しかったのか・・・バルナバはマルコとともに、故郷であり最初の伝道旅行の訪問地であったキプロスに船で渡ります。しかし、16章以降の記録はパウロの活動が中心になりバルナバの記録は何も記されていません。こうしたことから、ヨハネ・マルコを巡るパウロとバルナバの判断について、間違った判断をしたバルナバは宣教の表舞台からは姿を消して行ったと見られることがありますが、はたしてそうでしょうか。パウロとバルナバの関係がその後どうなったかを直接示す聖書の記述はありません。しかし、マルコと呼ばれたヨハネは、後にパウロの大切な同労者として、彼が諸教会に宛てた手紙の中に紹介されています。その一つが、ピレモンへの手紙24節です。

ピレモンとマルコ・・・ピレモンへの手紙は、逃亡奴隷オネシモについての執り成しの手紙です。オネシモは恐らく主人ピレモンの物を盗んで逃亡したものと思われますが、彼はパウロとの出会いを通してキリストの福音に触れて、罪を悔い改めて回心しクリスチャンとなりました。その後、オネシモはパウロの大切な助け手となり、パウロも彼を自分の傍に置いておきたいと考えました。そこで、パウロはオネシモをピレモンのもとに送り返し、ピレモンがオネシモを許し、奴隷としてではなく主にある兄弟として受け入れた上で、再びパウロのもとに遣わしてくれるようにと依頼したのがこの手紙です。この手紙の中でパウロはオネシモについて、「彼は、前にはあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても、役に立つ者となっています。」(11)興味深いことに新約聖書全体を通して、「役に立つ人」として紹介されているのは僅かに二人だけで、一人はこのオネシモであり、もう一人はこの手紙の最後で「私の同労者」(24)という紹介であるマルコです。

マルコの成長に影にあるもの・・・マルコの成長の背後にあったのはバルナバの励ましでした。バルナバがパウロとの協力をあきらめてまでもマルコを同行させることに拘った理由について、マルコがバルナバのいとこであった(コロサイ4:10)という事が挙げられることがありますが、それだけではないでしょう。「慰めの子」という名前が表すとおりに、バルナバはマルコを挫折から立ち直らせ、有益な人物へと育ててゆきました。マルコに対する処遇に限って言えば、パウロはマルコの失敗をみて彼との協力に反対しましたが、バルナバはいま挫折の中にあるマルコが、将来は主の役に立つものとなる事を見据えて、パウロとの協力を解消してまでもマルコを主の働きに同行させているのです。

ヨハネ・マルコのその後・・・マルコは後にシモン・ペテロの通訳として彼を助けたと言われます。ペテロは手紙の中でマルコを「私の子」と呼んでいますが(Ⅰペテロ5:13)。この言葉にはペテロのマルコに対する信頼が読み取れます。そして、こうしたペテロとの交わりの中で、彼が語るイエスキリストの記録をまとめたものが、「マルコの福音書」となりました。また、マルコの福音書は四つの福音書の中で最も早い時期にしるされて、その後、ルカ、マタイ、ヨハネという順で福音書は記されました。ですから、他の三つの福音書が記されるうえで、マルコの福音書が大切な資料になったことが言うまでもありません。神のみ言葉である聖書、そして「イエスキリストの生涯」を記録した四福音書が成立を考えるときに、マルコが果たした役割の大きさに驚かされます。

最後に・・・確かに私たちの人生には今は問われるがあります。しかし、今ということに捕らわれて互いの将来を信じることができないとするならば、それはどんなに悲しいことでしょうか。「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」これは、かつて主が預言者エレミヤを通して、イスラエルの人々に告げられた神の言葉ですが、いま、この時代にあっても、神は生きて働かれ、私たちの人生を共に歩み、神の平安に支えられた将来と希望を用意していて下さるのです。

20170625 頌栄 マタイ6:9-13

「頌栄」とは、「三位一体の神をたたえ、栄光を神に帰する歌」という意味の言葉ですが、マタイ6:9-13の祈りの教えについて、この部分を。記している聖書は多くはありません。なぜなのでしょう。

1)後に加えられた頌栄・・・新改訳聖書のマタイ6:13の脚注を見ますと、そこには「最古の写本ではこの句は欠けている」という解説が加えられています。これは、マタイ福音書を本文において、この「頌栄」はもともと入っていなかったことを示すものですす。つまり、「国と力と栄は、とこしえにあなたのものだからです。アーメン」という部分は、イエスご自身が教えたものではなく、後に初代教会が礼拝の中で「主の祈り」を祈る中で付け加えられたものなのです。こうした理由から、カトリック教会では「頌栄」の部分は読まれません。しかし、もともと入っていなかった言葉を、今も、あえて残し、また定型化した主の祈りの中で、プロテスタント教会が今も唱和することには、やはり大切な意味があるのでしょう。

頌栄の意味を読み解くためにカギとなる言葉は、最後の「なればなり」という言葉です。「国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり」。この「なればなり」という言葉は、「なぜならば、~だからです」という意味の言葉で、この言葉によって、これに先立つ六つの願いを祈る理由と根拠は、「神の主権」にあるということが明らかにされているのです。「御名をあがめさせたまえ。なぜならば、国と力と栄えとは、とこしえにあなたのものだからです。」「御国をきたらせたまえ。なぜならば、国と力と栄えとは、とこしえにあなたのものだからです。」「御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。なぜならば、国と力と栄えとは、とこしえにあなたのものだからです。」というように、数え切れないほどの弱さと、罪深さの中で祈る者が、唯ひたすらに、神を信頼することを言い表す「信仰の告白」がこの最後の「頌栄」であるのです。

2)頌栄の言葉はどこから来るのか・・・1世紀の教会は、主の祈りを聖餐式のときにもちいたと言われます。司祭が主の祈りを読み、会衆がひときわ大きな声で頌栄を唱和して、最後にすべての者が「アーメン」と唱える形がとられたようですが、このように、教会の聖礼典で用いられる頌栄の言葉は、旧約聖書・歴代誌第一29章10~12節の御ことばを引用して定められたと言われまする。これは、ダビデ王がイスラエルの神殿建築のために必要なものを集め、それを主の御前に差し出す時に捧げられた祈りの言葉です。歴代誌第一29章7節には、イスラエル各部族の長たちがささげたものが記されていますが、ここに記録された莫大なささげもの(財宝)を、人々が「全き心をもち、自ら進んでささげた」ことをダビデは喜びつつも、こうした金銀を前にして、「まことに、私は何者なのでしょう。私の民は何者なのでしょう。このようにみずから進んでささげる力を保っていたとしても。すべてはあなたから出たのであり、私たちは、御手から出たものをあなたにささげたにすぎません。」と告白をしているのです。そして、そのような信仰をもって私たちもまた祈るようにと、この頌栄のみことばは、私たちの祈りを導かれているのでではないでしょうか。

3)アーメンという言葉

主の祈りの最後の言葉は「アーメン」です。ご存知の方も多いと思いますが、イエスが弟子たちに大切なことをお話しになるとき、彼らの注意を促すために、「まことに、まことに、あなたがたに告げます。」(ヨハネ10:7等)といわれましたが、この、「まことに」という部分がが「アーメン」というものです。この言葉はヘブル語から来るもので、「その通りです」とか「確かである」という意味をもつ言葉ですが、ここから私たちは、神への信頼と従順を言い表す表現として、「アーメン」という言葉を用いるようになりました。

主の祈りの最後に「アーメン」と祈ることをイエスが教えられたことは、単なる祈りの終わりの合図でも、クリスチャンの習慣を教えるものでもありません。それは、この頌栄、つまり「国と力と栄は、とこしえにあなたのものだからです。」という、神をほめたたえ賛美の言葉と、そこに語られている神の主権に対する心からの同意を表すものです。しかし、私たちはこの「アーメン」という言葉を、心からと告白して口にしているでしょうか。「自分の人生は自分のもの、何をしようが勝手」というクリスチャンはあまりないと思いますが、やはり、神さまに委ねることの難しさ感じることをは、どんなクリスチャンにもあるものです。だからこそ、「国と力と栄は、とこしえにあなたのものだからです。」という賛美の言葉に、心から「アーメン」といえるかが問われているのではないでしょうか。