20170416 最も大切なもの Ⅰコリント15:1~11

1)イエスの死と復活を信じる信仰・・・コリント教会を含め、すべてのキリスト教会は、イエスの十字架と復活を信じる信仰を基礎として建て上げられなければなりません。つまり、単なる施設という味ではなく、教会を構成する人々(クリスチャン)は、それぞれに異なる賜物と働きを持ちながらも、キリストの十字架と復活を信じる信仰を、「最も大切なこと」として共有している、これがキリストの教会です。コリントの教会は、パウロの第二回伝道旅行において生まれた教会です。『恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから』という神のみことばを受けて、パウロは一年半にわたってこの街に滞在して、神みことばを教えました(使徒18:8~11)。ところが、パウロがコリントを離れて数年もしないうちに、教会の中に「死者の復活はない」と主張する者たちあらわれました。

2)死者の復活の否定・・・こうした主張は、1~4世にコリントを含むギリシャ文化の影響下にあった地域で広まったグノーシス主義という宗教思想の影響を受けた者によるものでした。「精神や霊的な存在は善、物質や肉体は悪」という二元論的な思想に影響された人々は、クリスチャンはイエスを信じる信仰において、既に霊的に復活を経験しており、将来においてイエスの復活に与り死者がよみがえることはないと教えたのです。ですからパウロは、15:1~2で、既に述べ伝えた福音を、もう一度述べ伝えましょう、と言いつつ特にイエスの復活という事に力点を置きながら、コリントの人々に福音の再確認を促しているのです。

3)最も大切なこと・・・キリストの復活の根拠として、パウロは「聖書の記述」と「復活の目撃者たちの存在」をあげていますが、この目撃者たちの最後に、パウロは自分自信をあげています。自分のことですから、彼は少し補足を加えていますが、そこには「そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現われてくださいました。私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。」(15:8-10)と告白されています。真理に目が閉ざされたパウロの熱心は、その告白の通り、教会への迫害、イエスへの敵対という形で表されてゆきます。このように、神の敵対者として歩むパウロに対して、神の裁きではなく恵みによって彼をとらえ、他の誰よりも多く神に仕える者としてくださいました。この事実をパウロは「恵み」にという言葉で言い表しています。自分の罪に対する深い認識と、神の恵みに対する感謝とは、キリストの死と復活こそが「最もたいせつなこと」という価値観を生すものとなりました。

まとめ・・・「最も大切なこと」と言われて頭に浮かぶものは何でしょうか。家族や仕事ということでしょうか、勉強や友達ということも大切なことでしょう。しかし「最も」ということで考えるならば、そこで、素直に頭に浮かぶものが本当に「最も大切なこと」と言えるのか考えてみる必要があります。この「最も大切なこと」という言葉には、文字通りには「第一のもの」という意味があります。主イエスは「神の国とその義とを第一に求めなさい」と言われましたが、この「第一に」も「最も大切なこと」も同じ言葉から来ています。福音、とりわけ、イエス・キリストの十字架の死と復活こそ、あらゆることの中で第一にされなければならないものです。それは、福音が罪の赦しと真のいのちを告げ知らせる、唯一の良い知らせがここにあるからです。

「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか」。死のとげは罪であり、罪の力は律法です。しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。(Ⅰコリント15:55~58)

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