20170115 主の忍耐と救い Ⅱペテロ3:8~13

1)ペテロが手紙を書いた理由 主イエスの福音が述べ伝えられ、各地に主の教会が建てられて行く時代になると、主イエスが語られた真理に逆らい、偽りの教えを語る者たちが現れゆきます。こうした者たちの中にキリストの再臨と神の裁きを否定し、享楽主義的な教え、つまり、快楽を追求することを人生最上の目的と教える者がありました。また、そうした教えに影響されて敬虔な生活から離れて行く者たちがありました。こうした人々がキリストの言葉の記憶を呼びさませ、「純真な心を奮い立たせるため」、更に、「預言者と使徒たちが語った、イエスの命令とを思い起こさせるため」にこの手紙を書いたとペテロは記しています。

2)裁きと神の忍耐 こうした人々は父祖たちが亡くなってから多くの時間が流れたが、この間に神さまが直接に人を裁くような劇的なことは無かったではないかといいますが、これに対してペテロは、ユダヤ人ならば誰でも知っている二つの事柄を提示し彼らの考えの間違いを示します。1つはこの天と地は神のことばによって創造されたという事実(創世記1章)。もう一つは、ノアの洪水によって神は不敬虔な世を滅ぼされたという事実(創世記6~9章))です。「神の裁き」という言葉は人の心に恐れを生じさせます。そして、この恐れが人の生き方を敬虔なものとすることもあるでしょう。しかし、ペテロは救われた者が敬虔な生活を目指すのは、そにような単純な恐れによるのではないと言います。イエスの再臨は確かに神の裁きの始まりです。しかし、主が来られることを信じ待ち望む者にとっては、「正義の住む新しい天と新しい地」がもたらされる時であるというのです(黙示録21章1~4節)。

3)神の忍耐と救い この時代の教会に於いて、ある者は「キリストの来臨の約束はどこにあるのか」と主を待ち望む者を嘲り、またある人は「主の来臨がおそい」と考えていたことが手紙の内容から伺えます。こうした者たちの誤った考えに対してペテロは、旧約聖書・詩篇90:4の聖句を引用しつつ、主の来臨が遅いと思えるとすれば、それは主が、「あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」という理由を明らかにしています。ここで「あなたがた」と呼ばれている人々とは、1節に「愛する人たち」と言われる人々、つまり、偽りの教えに揺らされて、主の真理に対する記憶も、純真な心も忘れがちな人たちです。彼らが再び神の教えに心が開かれ、純真な心を奮い立たせ、敬虔な生活をもって主の来臨に備えることが出来るように、神は忍耐をもって悔い改めを待っておられるというのです。15節でもペテロは「主の忍耐は救いであると考えなさい」と勧めていますが、主は私たちが過ちに留まり続けることなく悔い改めに進むことよう、深い憐みと忍耐をもって私たちを待っていてくださるということを心に刻んで、新たな歩みをスタートしましょう。。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA