20160526 アンテオケのキリスト者 使徒11:19-30

 

1)幾人かのキプロス人とクレネ人(19~22)     19節を見ますと「ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は・・・」とありますから、この箇所は8章1~5節に続く出来事と言えます。迫害を逃れた人々は各地を巡りながらイエスの福音を伝えますが、彼らが福音を伝えた対象はユダヤ人だけでした。ユダヤ人クリスチャンの心には、イエスの十字架と復活による救いを受けるためには、その前提として「律法を守るらなければならない」という考えがありましたので、彼らは基本的にはユダヤ人以外には福音を語る伝えることはなかったのです。ところが、こうした人々の中にいた幾人かのキプロス人とクレネ人たちが、アンテオケの街で「ギリシャ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた(20)」ときに、「主の御手が彼らとともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返った」と聖書は記しています。パレスチナに生まれ育ったユダヤ人クリスチャンよりも、キプロスやクレネで生まれ育ったクリスチャンの心は異邦人に開かれていたのでしょう。ですから彼らは、目の前にいる大勢のギリシャ人(異邦人)に福音を伝ない不自然さに気づいたのです。これは、ユダヤ人クリスチャンよりも、キプロス人やクレネ人クリスチャンの方が優れているということではありません。しかし、異邦人伝道においては、キプロスやクレネという場所で、ギリシャ文化の影響を受けて育った者だからこそ、与えられた「気づき」があったと言えるでしょう。

2)バルナバの派遣(22~26)    アンテオケで多くのギリシャ人が主に立ち返った知らせがエルサレム教会にも届いたときに、教会はバルナバを派遣します。このバルナバは4:36-37(最後)で自分の地所(畑)を売ってこれを献げた人として紹介されていますが、彼はアンテオケに到着し、そこで救われた人々と出会ったときに、彼は「神の恵みを見て喜び(23)」、そこから、①励まし、②導き、③教え、の3つの働きかけをアンテオケの人々に行います。

  1. 「心を固く保って、常に主にとどまっているよう励ました。(23)」・・・異教的な影響の強いアンテオケの街で、まだまだ少数派のクリスチャンたちは、その喜びが押しつぶされ足し舞うような試練や迫害にさらされる可能性がありました。ですから、バルナバは、信仰のゆえに悲しみや試練に出会う時にも、心を固く保って常に主にとどまっているよう励ました。
  2. 「彼(バルナバ)はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして大ぜいの人が主に導かれた。(24)」・・・バルナバ自身が、聖霊に依り頼み、キリストを信じて生きる者の実例(模範)となりアンテオケの兄弟姉妹を導きました。「慰めの子」と呼ばれるバルナバの歩みは、アンテオケの兄弟姉妹に、主にあって成長した自分たちの将来像を見させるものであったのでしょう。
  3. 「バルナバはサウロを捜しにタルソへ行き、彼に会って、アンテオケに連れて来た。そして、まる一年の間、彼らは教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた。(24-26)」・・・バルナバはタルソに居たサウロを探し出し、彼とともに1年に亘って人々を教え、キリストの弟子として教え整えました。キリストを信じて生きるために、バルナバは時間をかけてしっかりと学ぶ時間を大切にしたことが分かります。

3)アンテオケのキリスト者   この学びの結果、アンテオケの兄弟姉妹たちは、「アンテオケで初めて、キリスト者」と呼ばれるようになりました。「キリスト者」という言葉は「キリストに属する者」という意味の言葉です。しかし、この「キリスト者」という言葉は、当時は「嘲り」のニュアンスを込めて異教徒たちがアンテオケのクリスチャンを呼んだ言葉でした。「エルサレムで十字架に掛けられ殺された男を、救い主と信じる者たち、そんな愚かなものが大勢集まったとしても何が出来る!」、という感じでしょう。こうした逆風のなかでもアンテオケ教会は信仰に固く建てられて、揺るぐこととなく宣教の使命に歩み続けました。バルナバを通して与えられた、励ましと導き、後にサウロが加わり一年にわたって続けられた学びは、彼らの信仰の土台となり、彼らは「心を固く保って、常に主にとどまっている」、真実に「キリストの属するもの」となりました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA