20160703 迫害と教会の祈り 使徒12:1‐17

使徒の働きの12章は、ヘロデ王の迫害と、捕らえられたペテロの救いが記され、後半では迫害者としてのヘロデ王の最後がどのようなものであったかを記しています。ここから私たちは第一に、権力者による迫害に耐え忍んで信仰を堅く立ち続ける者たちを、主は確かに守ってくださること。そして第二に、ご自身に逆らい教会を迫害する者に、神は厳しい罰をもって望まれた実例をを私たちは見ることが出来ます。

1)ヘロデ王   12:1は「そのころ、ヘロデ王は」とはじまります。聖書には「ヘロデ」という名で呼ばれる人物が幾人か登場します。イエスが誕生に際して東方の博士たちの訪問を受けたのは「ヘロデ大王」です。彼は博士たちが「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか」という言葉を恐れて、べツレヘムとその周辺の住む2歳以下の男の子をひとり残らず殺しました。このヘロデ大王とサマヤ人マルタケの間に生まれた子がヘロデ・アンティパスは「国主ヘロデ」と呼ばれ、バプテスマのヨハネを殺した人物であです。また、イエスが十字架にかかられる前夜、イエスを侮辱し嘲笑した挙句にピラトに送り返した人物(ルカ23)でもあります。そして、今日の個所で使徒ヤコブを殺し、使徒ペテロを捕らえた人物はヘロデ大王の孫にあたる、ヘロデ・アグリッパ1世です。

2)迫害  以前にサウロが教会に対して行った迫害は、「教会を荒らし、家々に入って、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れた。(8:3)」と記されています。これに対して、アグリッパ1世の迫害は「教会のある人々を苦しめようとして(11:1)」とあるように、彼は教会の中の主だった者をへの迫害です。その最初の犠牲者がヤコブであり、、これを喜ぶユダヤ人の反応に気をよくしたヘロデ王はペテロを捕らえにかかります。アグリッパ1世は「過ぎ越しのまつり」に集まる人々の前でペテロを処刑するため、4人一組の兵四組にペテロを監視させました。

3)救い  明日の処刑が行われるという夜に、神はペテロのもとに御使いを送り、彼をヘロデ王の迫害の手から救い出されました。ペテロは御使いに導かれるままに牢を出て、第一・第二の衛所を通り、外に連れ出されます。御使いがペテロ離れたときに、彼はこれが現実の出来事であることが分かり、マルコと呼ばれるヨハネの母マリヤの家に向かいました。生まれて間もない教会は、現在のような教会堂はなく、神殿や信徒の家で集まって礼拝をささげていました。マルコの母マリヤの家も、そのような集会所であったと見られます。

4)再会  ペテロはおそらくマリヤの家に行けば誰かがいると考えたのでしょう。これは、自分の身を案じて祈る人々に、牢獄から救い出された経緯を伝えるためでした。マリヤの家を訪れたときにペテロの声を着たロダという女中は、喜びのあまりペテロの姿を確認しないまま、集まっていたみんなにペテロの帰りを知らせますが、誰も信じませんでした。しかし、門をたたき続けるペテロに応じて門を開けると、そこにいるペテロの姿の驚きました。そこでペテロは彼らの救いの経緯をはなし、これをヤコブ(イエスの弟でエルサレム教会の指導者、ヤコブの手紙の著者)と兄弟に知らせるようと頼んで、ほかの場所に出てゆきました。

4)迫害と教会の祈り   ヘロデ王はローマ皇帝の赦しを得てユダヤ全域を治める絶対的な権力者です。そのような権力者による迫害が始まったときに、教会がこれに対応するために取った方法は「祈り」でありました。ヘロデ王がペテロを四人一組の兵4組に24時間体制で監視させたのは、ペテロの脱獄、または教会によるペテロの奪還を警戒してのことでしょう。しかし、そうした中で教会がとった対応は「祈り」だけでした(5・12)。権力や富という力により事を動かそうと考える人にとって、こうしたクリスチャン・教会の姿は愚かに見えるかもしれません。彼らは私たちを知恵の無い者だと思うでしょう。しかし、聖書は「神に信頼する者は、失望させられることがない」(ローマ9:33)と私たちを励まします。

5)ヤコブの死とペテロの救い  最後に重要な疑問を考えたいと思います。ヘロデ王の迫害の中で、これまで見てきたようにペテロは御使いの導きの中で救い出されましたが、これに先立ってヤコブはヘロデ王に剣で殺されました。両者の違いはどこにあるのでしょうか。教会はペテロのためには祈りましたが、ヤコブのためには祈らなかったのでしょうか。聖書に記されていないので教会はヤコブのために祈っていなかったとは思えません。むしろ、教会はヤコブの救いのために必死に祈ったことでしょう。しかし、彼らの願いは聞き届けられませんでした。ヤコブが剣で殺された知らせを受けたとき、彼らの落胆がどれ程のものであったかを思います。しかし、そうした落胆の中でも彼らは祈りました。

かつて、ヤコブとヨハネが「あなたの栄光の座で、ひとりを先生の右に、ひとりを左にすわらせてください。」とイエスに願ったことがありました(マルコ10:35~40)。イエス彼らに「あなたがたは、わたしの飲もうとする杯を飲み、わたしの受けようとするバプテスマを受けることができますか。」と尋ね、この問いに彼らは「できます。」とこたえます。杯とはイエスの受難を指し示すものでが、。ヤコブとヨハネもイエスの問いの真意を知りませんでした。しかし、イエスは彼らの答えを聞くと、「なるほどあなたがたは、わたしの飲む杯を飲み、わたしの受けるべきバプテスマを受けはします。」と言われます。ヤコブの死は、このイエスのことばが成就したものです。後にヨハネもまたパトモス島に流刑に処され、使徒たちの中で唯一殉教という形でなく生涯を閉じたと言われます。教会の祈りになかで牢獄から救い出されたペテロもまた、皇帝ネロの迫害下で殉教してゆきます。彼らはこの地上に生きる最後の瞬間まで、神に仕えることを願いつつ歩み通しました。このような彼らの生涯こそ、彼らの背後にある多くの祈りの実と言えるのでしょう。

何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ4:6〜7)

彼らのように祈り続けましょう。私たちの人生にもヤコブの死のように受け止め難い試練が確かにあるます。しかし、私たちはそうした中でも祈りを通して、神への信頼が育まれる者でありたいと思います。

20160526 アンテオケのキリスト者 使徒11:19-30

 

1)幾人かのキプロス人とクレネ人(19~22)     19節を見ますと「ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は・・・」とありますから、この箇所は8章1~5節に続く出来事と言えます。迫害を逃れた人々は各地を巡りながらイエスの福音を伝えますが、彼らが福音を伝えた対象はユダヤ人だけでした。ユダヤ人クリスチャンの心には、イエスの十字架と復活による救いを受けるためには、その前提として「律法を守るらなければならない」という考えがありましたので、彼らは基本的にはユダヤ人以外には福音を語る伝えることはなかったのです。ところが、こうした人々の中にいた幾人かのキプロス人とクレネ人たちが、アンテオケの街で「ギリシャ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた(20)」ときに、「主の御手が彼らとともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返った」と聖書は記しています。パレスチナに生まれ育ったユダヤ人クリスチャンよりも、キプロスやクレネで生まれ育ったクリスチャンの心は異邦人に開かれていたのでしょう。ですから彼らは、目の前にいる大勢のギリシャ人(異邦人)に福音を伝ない不自然さに気づいたのです。これは、ユダヤ人クリスチャンよりも、キプロス人やクレネ人クリスチャンの方が優れているということではありません。しかし、異邦人伝道においては、キプロスやクレネという場所で、ギリシャ文化の影響を受けて育った者だからこそ、与えられた「気づき」があったと言えるでしょう。

2)バルナバの派遣(22~26)    アンテオケで多くのギリシャ人が主に立ち返った知らせがエルサレム教会にも届いたときに、教会はバルナバを派遣します。このバルナバは4:36-37(最後)で自分の地所(畑)を売ってこれを献げた人として紹介されていますが、彼はアンテオケに到着し、そこで救われた人々と出会ったときに、彼は「神の恵みを見て喜び(23)」、そこから、①励まし、②導き、③教え、の3つの働きかけをアンテオケの人々に行います。

  1. 「心を固く保って、常に主にとどまっているよう励ました。(23)」・・・異教的な影響の強いアンテオケの街で、まだまだ少数派のクリスチャンたちは、その喜びが押しつぶされ足し舞うような試練や迫害にさらされる可能性がありました。ですから、バルナバは、信仰のゆえに悲しみや試練に出会う時にも、心を固く保って常に主にとどまっているよう励ました。
  2. 「彼(バルナバ)はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして大ぜいの人が主に導かれた。(24)」・・・バルナバ自身が、聖霊に依り頼み、キリストを信じて生きる者の実例(模範)となりアンテオケの兄弟姉妹を導きました。「慰めの子」と呼ばれるバルナバの歩みは、アンテオケの兄弟姉妹に、主にあって成長した自分たちの将来像を見させるものであったのでしょう。
  3. 「バルナバはサウロを捜しにタルソへ行き、彼に会って、アンテオケに連れて来た。そして、まる一年の間、彼らは教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた。(24-26)」・・・バルナバはタルソに居たサウロを探し出し、彼とともに1年に亘って人々を教え、キリストの弟子として教え整えました。キリストを信じて生きるために、バルナバは時間をかけてしっかりと学ぶ時間を大切にしたことが分かります。

3)アンテオケのキリスト者   この学びの結果、アンテオケの兄弟姉妹たちは、「アンテオケで初めて、キリスト者」と呼ばれるようになりました。「キリスト者」という言葉は「キリストに属する者」という意味の言葉です。しかし、この「キリスト者」という言葉は、当時は「嘲り」のニュアンスを込めて異教徒たちがアンテオケのクリスチャンを呼んだ言葉でした。「エルサレムで十字架に掛けられ殺された男を、救い主と信じる者たち、そんな愚かなものが大勢集まったとしても何が出来る!」、という感じでしょう。こうした逆風のなかでもアンテオケ教会は信仰に固く建てられて、揺るぐこととなく宣教の使命に歩み続けました。バルナバを通して与えられた、励ましと導き、後にサウロが加わり一年にわたって続けられた学びは、彼らの信仰の土台となり、彼らは「心を固く保って、常に主にとどまっている」、真実に「キリストの属するもの」となりました。

20160619 同じ聖霊の賜物が 使徒11:1-18

今日は父の日です。6月の第三日曜日の父の日を祝うのはアメリカ式(イギリス)で、台湾では8/8(パパ) 韓国では5/8(父母の日)、オーストラリヤでは9月の第1日曜(冬の終わり)、フィンランドでは11月の第2日曜日、イタリヤでは3/19(サン・ジョゼッペの日)、ドイツではキリストの昇天日にお父さん同士が集まって遊ぶそうです。国によってずいぶん違うものですが、お父さんへの感謝という思いは共通です。お互いに忘れないようにしたいものだと思います。

1)教会のペテロへの非難(1-3)

ペテロが語る福音を聞いたコルネリオとそこに集まっていた者たちは語り、聖霊が注ぎと賜物を受け、彼らは洗礼へと導かれてゆきました。この報告を受けたエルサレム教会の反応が11章に記されています。異邦人たちが神の言葉を受け入れた知らせを聞いたエルサレム教会の主だった者たちは、ペテロを呼びつけて「あなたは割礼のない人々のところに行って、彼らといっしょに食事をした」(3)と非難します。「一緒に食事をする」ということは親しい交わりを表すもので、律法に基づく「言い伝え」によれば、罪人や異邦人と食事を共にすることは固く禁じられていました。彼らは、罪人や異邦人を汚れた者と考え、彼らと交わるときに自分も汚れると考えたのです。ユダヤ人クリスチャンは異邦人が神の言葉を受け入れたという事実より、ペテロが「異邦人と食事を共にした」ということを問題視しました。教会の中にはいまだにユダヤ主義的な価値観に支配された人々が多かったようです。罪を悔い改めイエスの十字架と復活を信じ受け入れた人々が、伝統的な価値観に縛られて民族主義的な考えを捨てられなかったことは、私たちにとって不思議に思えます。しかし、これは私たちと無関係とはいえません。

明治維新とともに、日本の社会の中で急速に開かれた西洋文化の象徴的な場所の一つが教会でありました。多くの宣教師たちは英語教育をおこない、当時の社会的な富裕層やその子弟は西洋式の教育を受け、教会は上流階級のサロンのような場所であったと言われ、貧しい人の居場所はなかったようです。私たちが教会の中から世の中を見つめて、そこで生きる人と自分たちとの間に壁を設けてるならば、それは健康なクリスチャンの姿とは言えません。何故ならば、クリスチャンとはイエスに倣って生きる人であり、イエスは人となって世に来られ、また、罪人とともに食卓に着かれたのです。私たちもまた、壁の向こう側にいる人たちにイエスの福音を伝えるために、そうした人々の中で生きるべきではないでしょうか。

2)異邦人の救いとイエスの約束(4-16)

ユダヤ人の非難を受け、ペテロは異邦人のコルネリオのもとに導かれた経緯を、「順序正しく説明していった(4)」と書かれています。ユダヤ主義的な考えでペテロを非難する兄弟たちへの説明ですから、詳しく正確に行う必要があったのでしょう。16節でペテロは、「私はそのとき、主が、『ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは、聖霊によってバプテスマを授けられる』と言われたみことばを思い起こしました。」と語ります。これは、使徒1章5節のイエスことばです。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。」という命令とともに語られますので、直接的には使徒2章で弟子たちが聖霊を受けることによって成就しますが、ペテロは異邦人コルネリオとの出会いを通して「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない」という主のことばの意味を悟り、彼らの聖霊が注がれたことによって、主の救いの計画はユダヤ人にとどまるものではなく、異邦人にも開かれていることを確信するのです。

3)同じ御霊の賜物が(17-18)

ペテロは最後に、「こういうわけですから、私たちが主イエス・キリストを信じたとき、神が私たちに下さったのと同じ賜物を、彼らにもお授けになったのなら、どうして私などが神のなさることを妨げることができましょう。(17)」と語ります。ここで言われる「同じ賜物」とは聖霊です。聖霊はすべてのキリストを信じる者の内にとも住み、Ⅱコリント12:3には、「神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ。」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。」(Ⅰコリント12:3)とある通りに、私たちを信仰の告白に導き、その告白に生きることが出来るよう守ってくださいます。

「さて、賜物にはいろいろの種類がありますが、御霊は同じ御霊です。奉仕にはいろいろの種類がありますが、主は同じ主です。働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。(Ⅰコリント12:4-6)」と語られるとおりに、各々に与えられた異なる賜物は、同じ御霊によって与えられたものです。また、このように異なる賜物が私たちに与えられているのは「「みなの益となるため(12:7)」であると聖書は記します。皆さんは自分に主が与えてくださった賜物を自覚しているでしょうか。それは「互いの益となるため」という尊い目的のために与えられた物です。私たちは、このこと心に留めつつ、積極的に賜物を用いる教会でありたいと願います。